東大くん

昨夜のLezardは東大生だけで、満員御礼!30人以上が詰めかけていました。
というのもLezardのバイト君たちは、歴代東大生が順送りにやっていますが、このたび無事に4月から就職というのも何人か居て、その彼らが学生最後のライブをやるというので同じクラブのメンバーや友達達が集まったという次第。
月曜日の我々と相バンドのようなカタチでの演奏となりました。
バイトの合間に一緒にセッションをしたバイト君も居るので、ある意味では顔なじみです。
もっとも平均年齢で言えば、我々の方が3倍近くになることになります。
東大くん達のバンドは、ベースこそエレクトリック(電ベー)でしたが、2管(テナーサックスとトランペット)+リズムセクションの編成。マイルスやクリフォード・ブラウンとかバッド・パウエルなど2管のアンサンブルに向いた曲をやってました。
まぁ、一言で言えば結構しっかりした演奏で、充分に聴き応えのあるものでした。
「天は、二物も三物も…」平気で与えちゃうんですよね、最近は…。
みんなカッコ良い子たちばかりだし。
ちょうど、向かいに座っていた東大生と話をしてたら、まだ二十歳とのこと。
中には、「イギリスのRoyal college of Artsの奨学金が貰えることになったので、3年間デザインの勉強に留学してきます」なんて子もいました。
現在は、東大で建築を学んでいるとのこと。
彼らは、挫折というものを殆ど知らないのでスクスクと伸びやかに育っている印象。
そうですよね、他の大学生は東大落ちて早慶とか、○○落ちて××なんてのが殆どだから。
Lezardでバイトをしていた子たちの中には、常連で来るお客さんのお孫さんの家庭教師のバイトにもありついたというオマケ付きも居ます。

我々の演奏の時は、昔を思い出して彼らとのセッションを楽しみました。
それにしても、外はめちゃ寒かったのですが若者が30人近くもお店に押しかけると、中は彼らの熱気でガラス窓が曇るほど。年寄りがいっぱい居ても、窓は曇りません。
昨日は、和恵ママの計らいで学割料金。我々、年寄りにも適用してくれました。

それにしても、帰りは寒かった。晴れ渡った空に、満月が寒々と輝いていました。
それでも、春の息吹が…。
写真は、我が家の風知草ですが、新芽を出し始めました。
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# by dairoku126 | 2010-03-30 11:41 | 音楽 | Comments(0)

3月初旬?

e0171821_17205832.jpg…と、思えるほどの冷え込み。
それでも、行きましたよ。
カヌーを漕ぎに。
クラブのBBSへの出席予定は30人でしたが、来たのは20人ほど。
まぁ、仕方がないか。
この寒さじゃ、ね。
昨日に続いて、まずは東浜でカラダを温めるためにランニングを1.5Kmほど。
今日は、その後がキツかった。
様々なメニューをこなしてから、北風が強かったので片瀬川に入って、15分のメニューを4回。
漕いでれば温かいのですが、上がって片付けなどをしていると直ぐに寒くなります。
こう何日も寒い日が続くのは、3月下旬では珍しいこと。
でも、先週の木曜日には約束があったので雨の中を江ノ島亭まで急な坂を傘を差して上がりました。
メンバーが揃ったところで、おでんと熱燗。誰もビールを飲もうなどとは言いませんでした。
なんか、真冬のメニューだよね。この季節なのに…。
まぁ、その時は結構有益な話が出来たので、寒い中を集まってのミィーティングは大成功。
こんな季節外れの寒気が明後日まで続くようですね。おお、いやだ!
それでも、植物はちゃんと分かっているのですね。
西浦のカヌー置き場の上の桜が、今日はほころびかけていました。
片瀬川の河畔の桜も、だいぶ花をつけ始めています。来週の週末には、満開でしょう。
カヌーの上から見る桜というのも、乙なもんです。
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# by dairoku126 | 2010-03-28 17:37 | | Comments(0)

「龍馬伝」

e0171821_14293996.jpgあまりにも、でたらめな歴史考証なので「龍馬伝」をついつい見てしまうということに自分ながら呆れています。
NHKの高等テクニックなの?とも思うほど、気になるのです。
最初に「?」と思ったのは、土佐藩主・山内容堂
土佐の「老公」とも言われていたのですが、これは井伊直弼の安政の大獄に引っかかって隠居させられたため。
現在のドラマの進行に合わせても、まだ40歳前の年齢のはず。明治5年に亡くなった時の年齢が45歳ですよ。
それが白髪のいかにも老人然として登場してくるので…。
それ以外にも、あまりにも物語の進行上なのかメチャクチャな部分が多いのです。
岩崎弥太郎に龍馬が初めて会ったのは、龍馬が2度目の江戸修行に出かける時のこと。それも、その時には岩崎弥太郎は安芸郡という龍馬が住んでいた高知城下から40Kmも離れた場所に住んでいましたので、旅の途中に寄り道して会いに行っています。弥太郎は父親が死んでから、高知城下に移り住んだのですが、その時に蟄居させられていた吉田東洋の塾に入り知遇を得た。吉田東洋が復権してから下目付という、まぁ密偵というかイヌと言われるような卑賤な職で出仕が叶います。
それなのに「龍馬伝」では、龍馬はしばしば散歩がてら弥太郎の家に立ち寄り、父親とも話していたりします。あれ?何よりも前回の放送で弥太郎の祝言の場面に、父親の弥次郎が出ていました。死んだはずだよ、お富さん〜♪
吉田松陰と龍馬が出会うというシーンもありましたが、この二人は出会っていませんし、龍馬に吉田松陰が影響を与えたということも無いのでは?
桂小五郎から名前くらいは聞いていたでしょうが…。
それと土佐藩独自の上士と郷士の関係が曖昧なんですね。
土佐藩の「上士」とは、関ヶ原で勝った家康側についた山内一豊が連れてきた家来です。
「郷士」はそれとは反対に関ヶ原で破れた石田三成側についた土佐藩主・長宗我部の家来達のことを言い、厳然たる身分差別がありました。上士と郷士が狭い道で出会ったら、郷士は道端に寄って土下座をするとかね。
上士は郷士をいかなる理由でも「切り捨て御免」が許されていました。
まぁ、早い話が郷士というのは人間以下の存在だったのです。土佐では…。
広末涼子が演じる平井加尾と郷士の龍馬が結婚などということも、上士と郷士の間では許されることではありませんでした。
いくら龍馬の本家の才谷家が土佐の3大財産持ちで有名であったとしても、郷士は郷士です。
まして吉田東洋が龍馬を気に入ったなどという話は、まったくのでたらめで二人は会ったことはおろか、吉田東洋が坂本龍馬という名前を知っていたかも疑問です。
だから、土佐勤王党というのは郷士を中心に組織されていたのですが、土佐藩の上層部から見れば「虫けらが何を言うか」という気分だったのでしょう。
徹底的な佐幕主義、徳川体制が崩れるのは身分秩序を壊すことになるのですから…。
宮迫博之演じる平井収二郎のような上士も居るには居たのですが。
まぁ、気になることは他にも沢山あります。
龍馬が武市半平太に「長州に行かせてくれ」と頼むシーンがありましたが、これもヘン。この当時、他藩に行くには藩の許可がないと行けませんでした。今で言うとパスポート無しに外国に行くのと同じ感覚です。同じ日本国内といえども、藩というのはそれだけで国みたいなものでしたから。また、長州にしても藩発行の手形がない人間は、密入国者として取り締まったでしょう。

ドラマだから脚色しちゃった方が面白いというか、名前を知っている幕末の偉人同士が出会ったらなどと連想して物語を進めてしまった方が盛り上がるとかあるのでしょうが、史実をねじ曲げちゃまずいのではないのかな?
坂本龍馬と岩崎弥太郎というのは、それだけでも面白い人物なんですから…。
なんか二人の大きさが描かれてないような気がするんですけど。
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# by dairoku126 | 2010-03-26 15:25 | 文化 | Comments(4)

「音」

e0171821_13171285.jpg作品社から出ている「日本の名随筆」というシリーズがあります。
テーマ別に高名な作家が編者になって古今の名随筆を集めたもので、全部で100冊のシリーズ。
僕は「肴」という池波正太郎が編者になっているものを昔から愛読しているのですが、matsu-honuさんのブログを読んでいて、無性に「音」を読みたくなり、Amazonのお世話になってしまいました。
編者は、團伊玖磨。
採録されている執筆者は、芥川也寸志、芥川龍之介、鮎川信夫、池田彌三郎、五木寛之、内田百閒、遠藤周作、大岡信、岡本かの子、小倉朗、大佛次郎、折口信夫、開高健、北杜夫、金田一春彦、串田孫一、小泉文夫、小泉八雲、篠田桃紅、太宰治、谷川俊太郎、團伊玖磨、戸板康二、遠山一行、永井荷風、中村汀女、夏目漱石、野村胡堂、畑中良輔、花田清輝、正岡子規、三國一朗、三島由紀夫、室生犀星、森有正、森本哲郎、山下洋輔、吉田知子、吉田秀和という錚々たる顔ぶれ。明治から昭和までの名随筆が揃っています。

好きなものを拾い読みしている段階で、すべてを読んだ訳ではありませんが芥川龍之介の「ピアノ」なんて随筆と言うより、良くできた短編を読んでいるようです。面白いのは、三島由紀夫がハリー・ベラフォンテをベタ褒めした「ベラフォンテ讃」とか、山下洋輔の「ベートーヴェンは笑わない」などですが、この人がこんなことを!という発見があります。また「音」というテーマですので音楽に限らず、自然の音や生活の音などを書いているものもあります。
池田彌三郎の「松風の音」は、松籟というか松の木を渡る風の音など日本人の音に関しての感受性が伺われますし、北杜夫が父・斎藤茂吉の論争<石に染み入る蝉の声、という芭蕉の句の蝉に関する論争>などを書いた「蝉の話」なども面白く読めました。
なによりも、明治から昭和にかけての幅広い随筆が集められているのですが、それぞれの筆者の文体が時代に関わらずオリジナリティに満ちていて勉強になります。
明治の人よりも昭和の人の方が古くさく感じたりするのは文体のせいなのでは…。
小泉八雲は、こんなに日本語が書けたのでしょうか?
翻訳では?と疑うような言葉の選び方なんですねぇ。文体も新しいし。

この100冊のシリーズは「万葉一〜三」を除いて、すべて漢字一文字のタイトル。
辻邦生「海」とか田村隆一「酒」谷川俊太郎「恋」なんて読んでみたいと思いません?
この100冊のシリーズが完結してから別冊の新しい100冊シリーズも出ているようで、こちらは漢字二文字のタイトルになっているようです。
安部譲二の「賭事」とか嵐山光三郎「喧嘩」常盤新平「酒場」なんてのも惹かれますね。
作品社のホームページでは、この200冊の中での登場回数のランキングが出ています。
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# by dairoku126 | 2010-03-26 14:14 | | Comments(2)

金継ぎ

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普段使いにしていた印判のお皿が真っ二つに割れてしまったので、久し振りに金継ぎの作業。
正しいやり方は二つに割れた皿自体も漆で繋ぐらしいのですが、僕は接着剤でやります。
繋いだらエポキシのパテを入れて、欠けたところをすべて埋めてから、しっかりと固まるまで数日放っておきます。
パテが固まったら、目の細かい耐水サンドペーパー(400番以上)で水をつけながら表面を滑らかにしていきます。滑らかになったら、漆を筆で継ぎ目をなぞるように置いていきます。
その漆が乾くか乾かないかの時点で、純金粉を蒔いて行きます。真綿で作ったタンポ状のもので金を漆に叩き込むように定着させて、余ったり、はみ出たものは拭っておきます。
漆は湿度が高い方がキレイに固まるので、段ボール箱の中に新聞紙などを入れ、霧吹きで湿らせたところに仕上げたお皿を3〜5日入れて出来上がり。
これで10年くらいは、金が剥がれることはありません。食洗機に入れたらアウトですけど…。
剥がれたら、また漆を置いて金を蒔いてあげれば大丈夫です。
この時は、ついでにひびが入ったご飯茶碗と以前に金継ぎした大皿の金が一カ所剥がれかけていたので一緒にやりました。金継ぎを始めて10年以上経ちますが、よほど手ひどくバラバラにならない限り、食器を捨てることがなくなりました。東急ハンズで売っていた金継ぎセットを買って始めましたが、人に訊いたり、本を見たりで自分流にやっています。
漆と金を蒔くタイミングなんて、人によっても、本によっても、違うので自分の経験で一番上手く行ったやり方にしています。
人によって漆にかぶれるので新漆というケミカルな塗料を使う人もいるようですが、僕は漆にかぶれない体質のようで、手についても大丈夫ということもありますが…。

割れたから捨てる…のではなく、愛着があるものは直して使う方が楽しいですよ。
ただ、最近は日本画用の純金粉を売っているところが少なくなって来たのが悩みのタネ。
銀座の伊東屋でも扱いを止めてしまいましたし、日本画の絵の具を売っている画材店でも置いてあるところが少なくなりました。
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# by dairoku126 | 2010-03-22 14:03 | 生活雑感 | Comments(2)