わずか2-3日で、夏から晩秋へと変化してしまったようですね。
カヌーの練習もお休みです。冷たい雨が、恨めしい。ということで、最近立て続けに読んだ本のことでも…。
『利休の闇』は、加藤廣が『信長の棺』から始まる本能寺三部作の流れで書かれているので、秀吉=山の民という前提が分からないと、少し違和感を覚えるかもしれません。
秀吉が織田信長の下でのし上がって行く中で、幹部クラスにしか許されない茶道を身につけようと今井宗久、津田宗及にこっそりと教えを乞おうとして無碍に断られるのに、利休(当時は千宗易)だけが手を差し伸べてくれるという導入部から、二人の師弟関係が秀吉が階段を上るにつれて変化していく。そこら辺が利休の視線で描かれていくのですが、利休が信長時代に朝廷から出入禁止の沙汰を受けたことが伏線として活かされている。
最後に利休が切腹するというストーリー展開そのものは、有名な史実ですから変えようがありませんが、そこに至るまでの過程が宗久、宗及の茶道記録など膨大な資料を読み込んで丹念に書かれたものだけに「茶道上の対立」だけで終わらない読み応えのある歴史ミステリーになっています。有名な「朝顔事件」も効果的に使われている。
葉室麟の『影踏み鬼』は、暗殺集団と化した新撰組から勤王思想を貫くために伊東甲子太郎を慕い別グループを形成、御陵衛士として生きる篠原泰之進が主人公。なぜ、この人を選んだかというと司馬遼太郎の「新選組血風録」の最初に登場する人物だったから…と答えているので、この作品は尊敬する司馬遼太郎へのオマージュと見ることも出来ます。
新選組を題材にした小説は数多あるものの、この人物について書かれたものは僕は「新選組血風録」以外は知りません。まぁ、近藤勇、土方歳三、沖田総司といった新選組の中心人物については、子母沢寛以来司馬遼太郎、池波正太郎など錚々たる作家が書き連ねてきたことだし。そんな人物を選んだところも浅田次郎の新選組三部作「壬生義士伝」「輪違屋糸里」「一刀斎夢録」と共通するのかもしれませんね。この小説の中でも「一刀斎」こと斉藤一がバイプレイヤーとして良い味を出しています。どちらも、怒濤のような幕末を生き延びて篠原は明治44年、斉藤は大正4年まで天寿を全うしています。
最後の章で、煉瓦街の銀座で篠原が斉藤に巡り会い、別れた後のレストランで探し求めていた女性に邂逅するというエピソードが、幕末の怒濤の中で「鬼」と化さざるを得なかった男の魂を救ってくれる。ここら辺の後味の良さが、葉室麟ならではの爽やかさなんでしょうね。
「影踏み鬼」というのは、子供の遊びですが影を踏まれたら鬼になる…という暗喩。主人公が恋に落ちた女性の子供との遊びを絡ませながら、勤王思想という純粋さを求めても、人を斬ったら「鬼」とならざるを得ない男の生涯を描いていく物語の伏線として活かされています。