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「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」_e0171821_17165158.jpg喜寿を迎えようかという塩野七生がテーマとして取り上げたのは、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世
本文の前に、「読者に」ということで執筆の経緯を書いてますが、「ルネッサンスの女たち」を書き上げた45年前から「この人」のことは書きたかったらしい。しかし、彼女いわく「順番がまわってこない」とのことで、ずっと後回しになってしまっていたとか。
そこら辺は、こちらで立ち読み出来ますので…。

ルネッサンスを書き、古代ローマを書き、やっと中世を書く順番となり「ローマ以後の地中海世界」と「十字軍」を書きあげて下均しが済んだので「フリードリッヒ二世」に取りかかれたようです。

時代としては、1194年生まれですから、日本でいえば鎌倉時代の初め。
何をした人かと言うならば、「ローマ法王は太陽、皇帝は月」という言葉が示すように、ローマ法王の権威は世俗の皇帝よりも上位にあるという当時のヨーロッパを覆っていた常識に真っ向から立ち向かい、「神のものは神のもとに、皇帝のものは皇帝のもとに」というキリストの言葉を引いて「政教分離」を推し進めた人です。謂わば、ローマ法王の絶対権力を制限して、宗教と世俗の権威の「棲み分け」をきちんとしましょうよ、と…。
同時代とはいえ、鎌倉幕府を興した源頼朝と似ているような。

ラテン語、イタリア語、ギリシャ語、ドイツ語、アラビア語までもネイティブ並に操れたという語学の才能も持ち合わせていました。中央集権国家を運営する人材を育てるために、現在も存続しているナポリ大学まで作ってしまうという教育にかける情熱も、当時の君主としては先端的な考えを持っていました。
「リベラル・アーツ」という言葉は、この時に出来た言葉とか…。

十字軍の指揮官として出かけるや、イスラム側と一戦も交えることなく、外交交渉だけでエルサレムの返還を果たしてしまいます。
これが、巡礼達には喜ばれたのですが、聖職者達には不評。
「キリスト教徒の血」をもって奪還しなかったというのが、その理由とか。

封建的な諸侯の裁判権を取り上げて神聖ローマ帝国を、中央集権国家的な「法治国家」として生まれ変わらせようとしたのですが、ルネッサンスの200年も前にそんなことを考えるだけでも凄いのに、17歳で皇帝に就任してから55歳で死ぬまでに「ブレ」もなく自分の統治下にある国に関してはやり通してしまったという行動力の持ち主です。
いかにも塩野七生の「好み」の男ですね。

そのため、ローマ法王から「破門」されること3回。
最後は「異端裁判」にもかけられてしまいます。
中世ヨーロッパに突然現れた「閃光」のような人格と事績。早過ぎた男ですね。
フリードリッヒ二世の死後は、またもや「暗黒の中世」に戻ってしまい、200年後のルネッサンスまでヨーロッパは「闇」に包まれます。
by dairoku126 | 2014-01-18 18:12 | | Comments(0)


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