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『昭和が愛したニューラテンクォーター』

e0171821_2052338.jpgかつて赤坂ホテルニュージャパンの横にあったナイトクラブ「ニューラテンクォーター」のオーナーだった山本信太郎氏が著したオープンから閉店までの想い出の記。
昭和34年に開店し、平成元年5月に閉店した伝説のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」というのは、話には聞いても行ったことがありません。
オープンの頃ならいざ知らず、昭和の最後の方なら僕等でも行けるはずの金額設定だった筈なんですけどね。隣のニュージャパンには大きなプレゼンが入る度に何日も「缶詰め」にされて、企画を創り上げるという作業は多かったのに…。

この本を読んでいて、オーナーの「一流」というものにかけた想いが良く伝わって来ます。
それと、戦後の「昭和」という時代は「音楽」がエンターティンメントの中心に位置していたということが、良く分かります。

開店15周年に客席300のクラブで、当時の最高ギャラ10万ドル(当時の金額で3400万円)のトム・ジョーンズを呼んで、お一人様12万円也でシャンパン・レミー・マルタン・ジョニーウォーカー黒(時代がわかりますよね)を飲み放題、食事代、テーブルチャージ、サービス料、税金すべて込みという破格の値段だったとのこと。もちろん、大赤字だったようですが…。
1973年というのは高度成長期の入り口にあったとはいえ、僕は入社3年目で給料が7万円くらいだった頃。当時、赤坂のみすじ通りのバーでサントリー・オールドをボトルキープ(これも懐かしい響きがする)して安いところで4000円、高くても6000円位だったような…。
サラリーマンの金銭感覚では、自費で行ける場所ではなかった。
皇族から、一流財界人、一流と思われたい成金から大物ヤクザまで客層もバラエティに富んでいたようですが、客の大半が商社や一流企業で外国人得意先の接待に使っていたようです。
三船敏郎、勝新太郎、萬屋錦之介、石原裕次郎の4人が揃って遊びに来たこともあったとか。
力道山が刺されたのも、ここでしたよね。

この「ニューラテンクォーター」のステージの「質」の高さというのは、伝説のように伝え聞いていましたが、なんと山本氏本人も忘れていたのオープンリールのテープが出てきて、それが「ニューラテンクォーター」に出演した全盛期のナット・キング・コール、ナンシー・ウィルソン、ルイ・アームストロング、ヘレン・メリルなどの超一流ミュージシャン達のショーを録音したものだったとのこと。
それらをデジタル化してアメリカでコンピ・アルバム「New Latin Quarter presents "the Jazz and Blues Collection Vol.1」として発売したところビルボード誌のジャズアルバム部門でいきなり25位にチャートイン、翌週には最高位の19位まで上がったとのこと。
ナット・キング・コールが日本語で歌う「慕情」とか「枯葉」などもあるらしい。
ディスクユニオンから発売になっているので、買おうかどうか、思案中です。
一流どころのアーティストを招聘するには、現在のキョードー東京の創設者タツ・ナガシマ氏との交友関係と事業提携が大きくモノをいっていたようですが、そういえばキョードーから出向になっていたT氏とは他の仕事の関係で出会い、一晩楽しく語り合ったことがあります。
この本を読んでいても、仕事の関係で縁があった方々の名前が幾つか出てきたので懐かしい想いがしました。やはり、一度は足を運んでおいた方が良かったのかな?
by dairoku126 | 2013-07-14 21:05 | | Comments(0)


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