先日、紹介した
石川直樹君の
レポートです。いろいろと考えさせられました。『帰ってきて、空港の書店などに並んだ週刊誌を見て、その扇情的な表紙や見出しにあきれた。被災者は雑誌を読まないと思っているのだろうか。被災していない人の気持ちを不安の方向へ煽れば売れると思っているのだろうか。
(中略)
戦後最大の天災であり、未曽有の災害であるわけだから、人々の話題が今回の震災に集中するのは当然である。しかし、湧き上がった情報の大半はゴミになる。三陸沖は瓦礫の荒野になったが、首都圏を含むその他の地域は、情報という瓦礫で埋められた荒野と化すに違いない。瓦礫の中にはわずかに使用可能なモノもあるが、大半は泥をかぶり、その見定めは難しい。特に原発に関しては、誰かの言ったことに簡単に扇動されると、自らも瓦礫に埋もれることになる。
(中略)
日常を失わなかった人は、その日常を続ければいい。ただ、繰り返しになるが、 マスコミその他にとりあげられることのない、無数の人の人生が被災地には存在している。かの地について想像し続けることをぼくはやめたくない。』
マスコミは、もっとまっとうな記事を書こうよ。たとえ、地味だとしても…。
その中で、今日の日経Web版の
この記事などは、読んでいて素直に共感できるものでした。