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ボブ・ボーグル

夕刊を見ていたら、ボブ・ボーグル死去のニュースが出ていました。
多分、ほとんどの人が知らないだろうけど、ザ・ヴェンチャーズの初代のリードギターです。途中でベースのノーキー・エドワーズの方が上手いということで変わっちゃったけど、最初のヒット”Walk don't run”の時はボブ・ボーグルでした。
もともとザ・ヴェンチャーズはボブ・ボーグルとサイド・ギターのドン・ウィルソンの二人で1959年に始め、翌60年にベースとドラムが加わって現在の4人編成になったとのこと。
ボブはフェンダーのジャズ・マスターというギターを、ドンはフェンダーのストラトキャスターというギターを使っていました。(ホント、憧れたよな)
これまた、途中からモズライトというメーカーのものに全員が変わってしまいましたが…。
ザ・ヴェンチャーズは、確か日本での海外アーティスト最多公演記録を持っていて、その記録は破られていない筈です。だって、日本に来ると地方都市を4ヶ月近く回ってるんだもん。
僕が生のザ・ヴェンチャーズを見たのは65年、新宿・厚生年金ホールで、初めて4人揃って来日公演をした時です。
その時には、リードはノーキーに変わっていたので、「あれ?」って感じでした。
その後、アメリカでも80年代のロングボード復活の頃に、The Beach Boys再結成などと合わせて再びサーフミュージックとして脚光を浴びました
なぜ、詳しいかというと、僕は湘南学園中学3年の時にクラスが一緒だった喜多嶋修君(加山雄三の従弟、女優・喜多嶋舞の父)とThe Vulturesというザ・ヴェンチャーズのコピー・バンドを結成したので、話題といえばギターの話かレコードの話ばかりしてましたから…。
日本でザ・ヴェンチャーズのレコードが売れ出したり、ヒットチャートに入り出したのが1963年頃、翌64年にザ・ビートルズの最初のレコードが日本で発売になりました。
「Surfin' Ventures」のタイトルでパイプラインとかワイプアウトなんて曲が流行ったのが65年で、ここからエレキ・ブームがスタートする訳です。
だから、バンド結成が63年というThe Vulturesという我々のバンドは、それなりに時代の先端を行ってたのね。勿論、フェンダーのギターなんて夢のまた夢。
銀座山野楽器で最初に輸入したフェンダーのストラトキャスターというギターは加山さんが買って(もう、若大将で大人気だった)、僕も後で借りて使わせて貰いました。
そのギターはL.A.の喜多嶋君のスタジオにあり、今でも時折、レコーディングに使うとか…。プレCBS(CBSがフェンダーを買う前)のギターですから、ヴィンテージも良いとこで、喜多嶋君もL.A.のミュージシャンから「売って、売って」攻撃にさらされているとか。
僕らの頃は、今のようにバンド譜なんて便利なものは無く、オープンリールのテープレコーダーにレコードからコピーして「耳コピー」でコードから、メロディからすべて取ってました。分からないときはテープの回転数を半分のスピードにして、必死に聴くしか手がありません。まぁ、コードにしても単純なスリーコードだったりするので、何とかやれたのでしょう。
そのうちデーブ・クラーク5とかのリバプール・サウンドとかザ・シャドウズなどのイギリス系のバンドになると、オーギュメントとかディミニッシュ系のコードとかが入ってきて取るのに往生しましたけど…。

なんか話が、逸れちゃいましたがボブ・ボーグルの死亡記事を読んで、昔のことをいろいろ想い出しました。合掌!
*写真の一番右がボブ・ボーグルです。
ボブ・ボーグル_e0171821_1774577.jpg

by dairoku126 | 2009-06-17 17:21 | 音楽 | Comments(0)


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