カテゴリ:本( 221 )

『弧篷のひと』葉室麟

e0171821_13244391.jpg小堀遠州という名前は、作事奉行として数々の庭造りの名人として記憶にありましたが、茶人としての側面はこの本を読むまでまったく知らなかった。

これは晩年を迎えた茶人・小堀遠州の回想録。
若き日に千利休に出会い、古田織部に茶を師事しながら、父のすすめで大徳寺の春屋宗園に参禅し、「天下を泰平にする茶が点てたい」という独自の茶の境地を求めて行く様が綴られています。
豊臣から徳川へと天下が回る中で、千利休・古田織部・後水尾天皇、本阿弥光悦、伊達政宗などとのエピソードが語られていく。
義父・藤堂高虎とのエピソードがあちこちに出て来ますが、これがなかなかに良い。藤堂高虎という人を見直してしまいました。

いろいろな話が出て来ますが、僕が好きなのは千利休が切腹前に作り、利休七哲の二人、古田織部に渡した茶杓「泪」を巡る話。
大阪の陣で古田織部が豊臣側に加担したとして切腹になった時に行方不明になり、小堀遠州に探索の命が下り、探し当てたところ織部の娘・琴が隠し持っていた時の話です。

このエピソードでは、千利休が実は切支丹ではなかったか?という仮説に踏み込んでいます。
確かに利休七哲には高山右近、蒲生氏郷、細川忠興など切支丹と関係深い大名が並んでいます。また古田織部も金継ぎなどで十字になる模様を好んだとか…。

題名の「弧篷のひと」は、大徳寺にある弧篷庵の名前。
小堀遠州が春屋宗園から授かった庵号で、「一艘の苫舟」という意味。
「綺麗さび」という武家茶道・遠州流の境地を暗示しているのでしょうね。

なお、葉室麟が茶の湯をテーマにした小説は他には『山月庵茶会記』があります。
読み終わった後の爽やかさは、一服の茶を飲み終わったような心持ち。
ホントに惜しい人を亡くしたものです。

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by dairoku126 | 2018-01-21 14:22 | | Comments(0)

『奇跡の人 The Miracle Worker』原田マハ

e0171821_18094884.jpgまぁ、タイトルからヘレン・ケラー?と思いましたが、この物語は舞台を津軽に置き換えたもの。時代設定は、ヘレン・ケラーに合わせてあって、明治20年の話になっています。
名前もヘレン・ケラーにあたる三重苦の少女が、介良(けら)れん、アン・サリヴァンが去場安(さりば あん)。

明治9年の岩倉使節団が欧米視察時に留学生を伴ったことは知られていますが、この時に9歳で渡米したが去場安が日本に帰国して、使節団の副使だった伊藤博文伯爵から介良男爵の娘を教育してやって欲しいとの依頼で津軽に赴きます。

あらすじは、こちらを読んでいただければ分かると思いますが、ヘレン・ケラーの物語と大きく違うところは当時の日本の家父長制度や女性の置かれた社会的な立場、またボサマと呼ばれる津軽独特の門付けなどで生計を立てる放浪芸人一座に居た津軽三味線を弾く盲目のキワという少女との邂逅と触れ合い…とアメリカでの実話を下敷きに日本ならではの物語に改変し、「#MeToo」で顕在化した女性蔑視など現代的なテーマにまで膨らませている。

最初は、介良れん、去場安という戯れ言のような名前に戸惑いますが、読み進むうちに話の中に取り込まれていくのは、やはり原田マハの筆力なんでしょうね。

物語の冒頭は、昭和29年に文部省の役人が冬の津軽に赴くところから始まります。
戦後、アメリカの占領下で日本の風俗が喪われていくのに危機感を覚えた学者・文化人の提案で法制化されようとしている重要無形文化財の選定に関わってきた学者とともに…。
そこで見た乞食のような老婆に戸惑いながらも、当時最新の録音機で彼女の津軽じょんがら三味線を録音するために。
そして、昭和30年に日比谷野外音楽堂で最初の人間国宝として演奏するキワ。
これが友情の物語の大団円へと繋がって行きます。


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by dairoku126 | 2018-01-15 19:40 | | Comments(0)

『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ

e0171821_17243519.jpgカズオ・イシグロが2015年に発表した作品。
6〜7世紀のイングランドを舞台にした寓話のようなストーリーですが、U.K.の現在の状況を暗示する内容になっている。
「私を離さないで」(2005)、「夜想曲集」(2009)から時間をおいて書き上げた物語ですが、テーマとしては著者が一貫して書き続けている「記憶の曖昧さ」、自己正当化(保身)のための「記憶の捏造」ということはこの作品でも貫かれている。
アーサー王の伝説を下敷きに、表面的にはサクソン人とブリトン人の融和が保たれた社会の底流に脈々と流れる「憎しみ」や「恨み」など、ブレクジットを惹起した移民問題や人種問題に対して警鐘を鳴らす意味からも興味深い物語でした。

この物語の発表後に、国民投票でU.K.はECを離脱、さらにはスコットランドまでイギリスから離脱しかねない状況になっている。
この著者の「世界を見つめる目」の確かさ、それを寓話として読みやすい表現に落とし込むやり方には、ほとほと感心しました。
息子の住む村目指して旅立つ老夫婦を語り手に、それにアーサー王の甥である老騎士、サクソン人の戦士、龍に噛まれた傷跡を持つ少年などを絡ませて物語は展開していく。
民族対立と虐殺に記憶、公的な部分と私的な部分での葛藤など巧みに物語りに織り込まれて、自然に読まされている。

さらに、島(彼岸)に渡る船の船頭が良い味を出している。
ラストシーンでは、一度に二人は乗れない船に妻が先に乗り、漕ぎ出していく。この船頭が、夫を乗せるために戻ってくるのか?
そこら辺は、この著者の常套手段で曖昧なまま。読者に託されています。
いやぁ、読み慣れるほどカズオ・イシグロという作家に魅了されて行くのは流石ですね。

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by dairoku126 | 2018-01-13 18:12 | | Comments(0)

『ギリシャ人の物語 Ⅲ 新しき力』塩野七生

e0171821_09580531.jpg塩野七生自らが、これが最後のシリーズものと宣言した『ギリシャ人の物語』が完結しました。
1年に1冊ずつ刊行されてきたものですが、3冊目はアレクサンダー大王の事跡を丹念に書き込んでいる。
この『ギリシャ人の物語』は、現在の世界情勢を見渡すと実に参考になる物語が詰め込まれている。
塩野七生が生涯の最後の作品としたのも肯けます。

民主制、寡頭制など政治体制は違えど、都市国家群として発展してきたギリシャと、帝国として発展してきたペルシャという当時の二大文明国家として常に覇を競った国を統一したアレキサンダー大王の事跡は、やがてローマ帝国に受け継がれることになるのですが、わずか20歳にしてマケドニアの王として即位してから33歳でギリシャからインダス川までの地域を征服して、統治体制を築き上げたスピードは驚異的なものです。

理由としては、騎兵と重装歩兵の役割を変えた戦略的な”軍事革命”と、臨機応変な戦術、また指揮官からの情報伝達の速さなど、当時としては画期的な意思統一のされた闘いにより自軍の数倍にはなろうかというペルシャ軍を「短時間」の戦闘で打ち破って行く。
この”短時間”の戦闘というのは、味方の損傷を極小にする戦略でもあったのですね。

そして、打ち破った後は現地人に行政を任せる(もちろん軍事と財政は部下のギリシャ人に任せたものの)という”融和体制”で後顧の憂いなく、前進していく。
当時の常識では考えられない”コスモポリタン”ぶりは、やはり彼だけが「時代を突き抜けていた」証しでもある。まさに”天才”としか言いようがない。
これだけの大帝国を築きながら、奢ることなく兵士と同じ食事を摂り、常に騎兵の先頭に立って”ダイアモンドの切っ先”のように敵の大軍団に切り込んでいく大王の姿をみれば部下が心酔するのも当然でしょう。まさに、リーダーとは何かという理想を体現した人物。

ギリシャの片田舎とされていたマケドニア国王であった父・フィリッポが彼に与えた教育も凄い。スパルタ人・レオニダスによる徹底した”スパルタ教育”でカラダを鍛え、なおかつアリストテレスを教師に教養と哲学を授ける。この徹底した帝王教育の”ご学友”たちが、彼の将官として最後まで彼と行動を共にしていくのです。

いやぁ、久しぶりにワクワクする気持ちで大部の本を読んだ感じがします。
それにしても、”○○ファースト”という、まるで都市国家のような視野狭窄に陥った現在の世界の指導者たちは何なんでしょうね。
やはり人間というのは、進歩したようで進歩してないのでしょうか?
この本を読みながら、そんな感慨に耽ることもしばしばでした。

処女作『ルネッサンスの女たち』から塩野七生の全作品を読み通してきたことになります。
これで終わりというのは残念な気もしますが…。
まぁ、最初から読み返すという手もあるからね。

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by dairoku126 | 2018-01-10 10:58 | | Comments(0)

合掌!葉室麟氏

書き忘れていましたが、作家の葉室麟氏が逝去されました。
残念だなぁ。まだ66歳だったのに…。

西日本新聞で記者を務められ、作家デビューは50代のこと。
僕も、初めて彼の作品に触れたときのことをブログに書きました
あれ以来、彼の作品は殆ど読んできたので、本当に残念です。

葉室麟氏の作品に登場する人物は、男性であれ、女性であれ「凜」とした佇まいをもっていた。世の中がどうあれ「自分は…」という信念を保ち続ける人物像を、藤沢周平の後継者と思えるほど端正で清潔な文章で綴られてあった。

実に惜しい作家を亡くしました。
合掌!

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by dairoku126 | 2017-12-25 16:16 | | Comments(0)

『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ』佐藤賢一

e0171821_12544434.jpg佐藤賢一にしては珍しい幕末の日本を題材にしたもの。
とはいえ、やはり得意とするフランスがらみです。

江戸幕府の軍事顧問として来日し、大鳥圭介、土方歳三、榎本武揚らとの親交から旧幕府軍とともに函館・五稜郭で官軍相手に闘ったジュール・ブリュネを主人公に鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争での日々を描いていきます。
映画「ラストサムライ」は、ブリュネがモデルといわれている。

徳川幕府が西洋式陸軍の導入を決め、フランスから招いた軍事顧問団は歩兵、砲兵、騎兵、工兵といった近代陸軍に欠かせない科目の訓練を始めたのは慶応2年(1866)末。
中国でのイギリス進出に遅れを取ったフランスは、駐日公使ロッシュが徳川幕府中枢に食い込み、横須賀造船所建設や軍事顧問団の派遣などナポレオン三世の承認を受けて推進していた。
そこに戊辰戦争が勃発。
訓練のため出張した大阪城で徳川慶喜の脱走を知ったブリュネなど軍事顧問団は途方に暮れるものの、そこで榎本武揚や土方歳三と運命の出会いを果たす。

薩英戦争以後、薩長などの倒幕勢力を支援するイギリスとの外交戦争を繰り広げてきたフランスはロッシュの公使更迭とともにイギリスと歩調を合わせて、官軍に迎合しようとしたためブリュネはフランス陸軍に辞表を提出、函館に駆けつける。
日本の士道=エスプリに感じ入ったブリュネは、母国の方針転換に反旗を翻し、戊辰戦争に身を投じていく。

読んでいておかしかったのは、フランス人は「h」の発音が出来ないため、ひじかた→イジカタ、函館→アコダテなどと表記されて行くこと。そして、エピローグでは史実から離れて函館で死んだカズヌーブの身代わりに土方歳三をフランスに亡命させてしまう。

ブリュネ本人は、軍法会議で裁かれる覚悟を決めていたのにも、フランス騎士道=エスプリを発揮した人物として世論の人気を集め、原隊に復帰。
その後、栄達を進めて最後は軍事顧問団団長だったシャノワーヌが陸軍大臣に就任した際に陸軍参謀総長に…。
日清戦争での日本への貢献を認められて明治政府から勲二等旭日重光章を受けています。

佐藤賢一の幕末ものには庄内藩を舞台にした「新徴組」というのもあるようですね。
鶴岡出身の作家として書かずには居られなかったんでしょうね。


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by dairoku126 | 2017-12-22 13:53 | | Comments(0)

『ふぉん・しいほるとの娘ー上・下ー』吉村昭

e0171821_16495953.jpg長崎・出島のオランダ商館に医師として赴任したシーボルトの娘・楠本イネの話です。日本女性初の西洋医学による産科医師として、幕末から明治にかけて活躍したイネは、司馬遼太郎が大村益次郎を主人公にした「花神」にも登場してきます。
司馬遼太郎としては、イネが益次郎に淡い恋心を抱いて居て欲しい…との期待もあったようですが、実際にはそんなことは資料を読む限り無かったとガッカリしたとか。

さて、文語本にしても上下合わせて1,350ページにもなる大部の小説です。
イネの母親である瀧が丸山町抱えの遊女として出島に赴くところから、イネの娘の高子までの女三代の物語を丹念に資料にあたり書き下ろしたものだから。

冒頭に描かれているオランダ船到着を見張る野母崎の番所から始まり、長崎入港までの手続きの煩雑なことも含めて”鎖国”時代の長崎の町の雰囲気が伝わってきます。

上巻は、主にシーボルトの日本での事跡を追うことに焦点が当てられているのですが、彼の名声を慕う蘭学者たちがシーボルト事件に巻き込まれて行く様は読んでいて悲しい。シーボルトが追放になったのはイネが2歳の時。そこから、混血児として育つ彼女の苦闘が始まります。

父を慕うように医学の道に進むことを志し、鳴滝塾で父の門下生だった二宮敬作の教えを受けるために長崎の町を離れ、宇和島まで…。
その後は、実に波瀾万丈なストーリーが展開していきます。

宇和島藩主・伊達宗城の厚遇を得て、勉学に励む環境を整えてもらうのですが大村益次郎と出会うのも宇和島藩でのこと。この殿様は、実に開明的な人物だったのですね。
島津斉彬、松平春嶽と並び称されるだけのことはあったようです。

黒船騒ぎで開国となった時に再来日した父・シーボルトとの再開。異母弟にあたるアレキサンダーやハインリッヒとの関係は良好で、明治になってからは彼らの援助で上京、築地で開業した後は福沢諭吉の口利きで宮内省御用掛となるなど彼女の人生が花開いていく。

イネも娘の高子も、残された写真を見る限り美人だったようですね。
娘の高子は、松本零士が「メーテル」のモデルにしたとも言われています。

いやぁ、読み応えのある小説でした。

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by dairoku126 | 2017-12-12 17:51 | | Comments(0)

『遠い山なみの光』、『浮世の画家』カズオ・イシグロ

e0171821_09325120.jpgどちらも、終戦直後の日本を取り上げた物語。
面白く読ませてもらいました。
「遠い山なみの光」は、彼が生まれ育った長崎が舞台。
カズオ・イシグロのデビュー作です。

「BOOK」データベースには…「故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。」とあります。

不思議な陰翳を持つ小説です。
長崎では幸せな暮らしを送っていた悦子が夫と別れ、イギリス人の批評家とイギリスで家庭を営むことになった経過などはまったく省略されている。残されたもう一人の娘とぎこちない会話を交わしながら現実と過去の間を浮遊しているような心理状態を淡々と綴っていく。
王立文学協会賞を受賞したということですが、モノクロームの中に淡い光が見えるような不思議な味わいの物語です。
長崎で出会った母娘との会話に使われている言葉遣いが、僕が子供の頃に聴いた少し距離感を置いた人と話す母親達の会話を聴いているようで時代感が良く出ている。
これは翻訳者の力でしょうね。

e0171821_09325347.jpgこちらの「浮世の画家」の方もモノクロームの世界です。
「戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。多くの弟子に囲まれ、大いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えたとたん周囲の目は冷たくなった。弟子や義理の息子からはそしりを受け、末娘の縁談は進まない。小野は引退し、屋敷に篭りがちに。自分の画業のせいなのか…。老画家は過去を回想しながら、みずからが貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れる」とあるように自分の来し方を振り返る老画家の物語。

1948年から始まる設定になっています。
かつての栄光は影を潜め、若者を戦争に追いやった側で旗振り役を務めていたと誹る世間の目も気になるが、自分は「信念」を貫いたので後悔することは無い!と開きおなっているような気分もあり、自分の来し方をすべて否定はしたくない。娘婿の世代が、戦争に加担した人間たちが戦後もリーダー層として未だにのさばっているような世相に厳しい目を向けていることも分かっている。

ストーリーも目の前に起きている娘や孫と応対しながら、突然に回想にふけっているかのように話が飛んでいく。まぁ、老人の話には良くある脱線ですが…。
これが脱線しているようで、徐々に伏線として活きてくるからストーリーテラーとして大した技量です。
「これは私の記憶違いかもしれないが…」というフレーズが数多く現れるのですが、確かに娘と話していてもお互いの記憶がズレている。これは意図してやっているのか、無意識に自己肯定をするために過去の事象を勝手にすり替えているのか?
単なる老人性のボケなのか、曖昧なままに話はどんどん進行していく。
まぁ、それが浮世というものなのかもしれません。

タイトルにある「浮世」は、原題では「Floating World」で訣別した絵の師匠モリさんが好んで描いた画題。「世の中でいちばんいいものは夜に集まってきて、夜明けとともに消えていく=浮世」という耽美主義的な画風を指すのでしょうが、同時に敗戦とともに価値が逆転したかのような日本の現状を指しているようにも思えます。

ひとつ違和感を感じたのは、孫の一郎が「ローンレンジャー」や「ポパイ」の真似をやたらとすること。彼が英国に渡る以前の子供時代に見たTVの印象が強かったのでしょうが、1950年代以前の日本では、それほど知られていたとは思えないんですがね。



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by dairoku126 | 2017-12-06 10:41 | | Comments(0)

『ツバキ文具店』小川糸

e0171821_09181289.jpg鎌倉を舞台にした小説。
読むより先にNHKのドラマで見ていたのですが、時々「ありえないだろう?」というほどロケ地が飛ぶ。描かれている地名の位置関係を知っているから、その部分だけとても気になりました。

原作はどうなっているんだろう?と思いつつ読み出しました。
まぁ、ドラマもとても良く出来ていたのですが…。
と、かなり原作に忠実に脚本が書かれていたことが分かりました。

「ありえない…」と思いつつ見ていたところは、ドラマ用にエピソードを書き足していた部分だった。
物語が進むにつれ登場する人物を、ドラマ的な伏線として最初の方から出すために無理を承知で書き足したために生じた「不自然」だったのですね。社会的な問題提起をドラマとして盛り込みたかったのかも…。

小川糸という作家の本は、これで2冊目ですが人間関係の距離感を描くのが実に巧い!
土足で踏み込まず、それでいてちゃんと温もりが感じられる距離感というのを分かっているのですね、この人は。ドラマでは、そこのところが少しベタついたものになっていたり混乱していたから「不自然」だと感じたのかもしれません。

原作の方は、淡々と進んで行く構成になっていて、それでも章を重ねるにつれ徐々に重層的に膨らんでいくのですが、ドラマはそうも行かないもんね。
脚本家も、そこの部分で苦労したんだろうな。

人間が生きていく上で抱える問題を描いていくのに、「代書屋」という江戸時代から続く「商売」を切り口にしたところが新しさを感じさせてくれるのでしょうね。

僕が居た会社では広告制作のポイントとして「大胆な切り口、明快なアート、緻密な仕上げ」という「制作三原則」というのを叩き込まれましたが、この本を読みながらそんなことを想い出していました。
e0171821_09181508.jpg
ただ、先にドラマを見てしまうと読んでいて登場人物の顔がタレントの顔にダブってしまう。
なかなか、素敵なキャスティングだったから構わないのですが…。
多部未華子、大好きだし(笑)



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by dairoku126 | 2017-11-13 10:08 | | Comments(0)

『もの言えぬ時代』内田樹、加藤陽子、高村薫、半藤一利、三浦瑠麗ほか

e0171821_17174705.jpg共謀罪の法案審議をしている時に朝日新聞が社会面で実施した「問う『共謀罪』」というインタビューシリーズを書籍化したもの。

あとがきによれば、作家など創作者、捜査の実務に携わる人、ジャーナリスト、学者など世間で「識者」と呼ばれる人から取材をしようとしたようですが、この時点で断りを入れてくる人が多かったとか。すでに「もの言えぬ時代」が始まっているのかもしれない。

本にまとめる時に、さらに5人を選んで第一部として共謀罪が最初に法案化された2006年からの日本の変化について語らせている。

思想家・内田樹は『国民国家が液状化する中、安倍政権は「アメリカの属国の代官」として強権を維持する仕組みを作ろうとしている』と見立て、歴史学者・加藤陽子は『戦前の歴史との類似点をあげ、強引な政権運営』に警鐘を鳴らす。作家・高村薫は『異論を排除する空気感が広がる中での言葉の大切さ』を訴え、半藤一利は『ポイント・オブ・ノーリターン=歴史の戻れない地点に至らんとしている』と指摘した。国際政治学者・三浦瑠麗は『憲法改正を目指す安倍政権は大きく間違ってない』と述べ、護憲勢力の教条主義的な姿勢に疑問を呈している。

第二部では、インタビューの再録というカタチで賛成・反対の意見を持つ人が登場します。
2006年に最初に法案を提出した当時の法務大臣・杉浦正健氏が「外務省がやたらと騒ぐので出したけど、当時は通すつもりなんか無かった」と語っているのは興味深い。
すでに3度も廃案になってきたのは、自民党内にも賛否があり、党内での議論が活発に行われたからでしょう。選挙のたびに戦争のことを知っている議員が引退し、知名度だけで当選してしまう議員が増えて来たのと、「一強」となった総裁に「忖度」してるんでしょうね。

こんな感想をブログに書いただけで、まさか公安に尾行されたりはしないでしょうが…。

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by dairoku126 | 2017-11-10 18:05 | | Comments(0)