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『完本 天気待ち』野上照代

『完本 天気待ち』野上照代_e0171821_10381047.jpg黒澤明監督のスクリプター(記録係)として高名な野上照代さんが書いた幾つかの本に書き下ろしも含めて文庫本にまとめたもの。
AMAZONには「『羅生門』で黒澤映画に初参加、以降『生きる』から『まあだだよ』まですべての黒澤映画作品に携わった著者が、伝説的シーンの制作秘話、三船敏郎や仲代達矢ら名優たちの逸話、そして監督との忘れがたき思い出を綴る。最初の師・伊丹万作監督とのエピソードも再録した完全版」と紹介されています。

昭和の映画全盛時代の熱気が文章の中から立ち上がってくるようで、456ページもある分厚い文庫本でしたが、引き込まれるように読んでしまいました。

野上さんとは直接に仕事をしたことはありませんが、彼女が一時所属していたサン・アド出身の演出家と仕事をした折に話を聞いたことがあります。
「影武者」や「乱」などの制作費が足りなくて、サントリーのCMに出演したのも野上さんが居たからこそ。

僕自身がCM制作の仕事に飛び込んだ時は、フィルム全盛時代。
スケールこそ違いますが、映画作りと同じ行程でCMを仕上げていたから、ここに書かれている専門的な内容などはよく分かります。書店で「天気待ち」というタイトルに惹かれたのも、「天気待ち」をしている時の気分が身にしみているからでしょう。

今のようにデジタルで後処理出来るのとは違い、ロケの成否はお天道様次第でしたから…。
雲がかかって光量が足らず、撮影助手さんや照明助手さんが空を見上げて、「あと10分くらいで、あの雲が抜けます」という声を聴いたときのホッとした気分や、「もう少し、あそこに雲があれば、もっと良い画になるのに…」なんてボヤいたり。

それにしても、野上さんが伊丹万作さんとの縁で映画界に入ったことは初めて知りました。
伊丹十三さんの中学時代に京都で面倒を見るために京都大映に就職してスクリプターの仕事を始め、そこで「羅生門」の撮影から黒澤監督と出会ったのが、彼女の一生を決めてしまったのですから…。まさに「出会ってしまった」のですね。

読みながら、自分の若い頃の記憶がフツフツと沸き上がってきました。
スタジオ撮影にしろ、ロケにしろ、撮り上がったフィルムをスタッフ全員で見るオールラッシュの緊張感。この頃は、これを見るまでスタジオに組んだセットはバラさなかった。
直ぐに再撮ということもあったっけ。
ズームが下手だ!と監督に言われて唇を噛むカメラマンの姿とか、思わぬシワが洋服に出てしまって怒られて泣きそうになっているスタイリストとか…この緊張感は、後にカメラからビデオのラインを引っ張って現場で直ぐにチェックできるようになった現在では味わえないもの。

特に海外ロケの場合は、すべて現地でチェックしたものでした。
L.A.やパリ、ロンドンの現像所で色が違うのも新鮮でした。
同じKODAKのフィルムを使っているのに、好みの色が違うんですね。
だから、東京にネガを持って帰って編集すると、また東京の色が違うので何回も調整してもらったこともありました。
FUJIFILMがムービー用の高感度フィルムを開発した時には外国で現像できず、東京に持ち帰って現像したら、撮影助手の測り間違いのせいでパ−。再びN.Y.でロケなんて事件もありました。あの真剣さはデジタル化で消えてしまいましたが…。
何かあっても「後処理でなんとかなりますから…」の一言で片付いちゃうから。

野上さんも「完本」のあとがきに書いています。
「ともあれ、今の映画スタッフには、当時の撮影現場がいかに緊張とスリルに満ちたものであったかは理解できないだろう。デジタル時代に不可能はない。人間の顔が突然、妖怪に変わるのも、お茶の子サイサイ、朝飯前だ。ただ、観客の心に”感動”というひと雫を落とさせる能力はないらしい。」良い映画を作ろうと、スタッフが歯を食いしばった時代は、幸せな時代だったのかもしれませんね。
by dairoku126 | 2016-08-12 11:33 | | Comments(0)


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