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『流れる星は生きている』藤原てい

『流れる星は生きている』藤原てい_e0171821_2133849.jpg新田次郎夫人で、藤原正彦の母親の作家・藤原ていが、終戦直前にソ連参戦という状況下で満州から3人の子供を抱えて朝鮮半島を南下しての引き揚げというよりは脱出体験を描いたドキュメンタリー。かなりのベストセラーになったようです。

当時、新田次郎は気象庁の課長として満州に赴任。
関東軍や満州国の幹部やその家族が、民間人や満州国の一般職員を置き去りにするように、さっさと逃げ足速く鉄道や飛行機で居なくなった後、民間人や職員の家族は貨物列車にすし詰め状態で平壌までは行き着くものの、終戦を向かえて混乱を極めた中で平壌郊外で1年あまりも足止めされ、歩いて南を目指すという逃避行の凄まじさは読んでいて身の毛がよだつほど。

夫の職場や地域ごとに”団”単位で結成された満州からの引き揚げ家族ですが、男性は老人か病人だけ。その男性が団長となって指揮を執るのですが、一軒家に数十人で暮らすなど生活は悲惨を極めます。栄養失調で子供たちが死んでいったり、団の中でのいがみ合い、いじめ等々極限化に置かれた人間の本性がむき出しになった姿まで淡々とした文体で描いていきます。
引き揚げ者というよりは”難民”といった方が近いかも。

この人たちに対して日本政府は何のアクションも起こしてない様子なんですよね。
逃げるときに持って出たお金やモノを現地で交換したり、働きに出て食事代を稼いでは自分の家族を守り通すしかありません。38度線を越える山道でも現地で雇った荷車に乗れるのは、お金を持っていたひとだけ。幼児といえども、乗せてもらえず歩くしかありません。

シリア難民のニュースを見て、自分と関係ない…と思うのは70年間戦争から離れていた現在の日本人の感覚でしょうが、自分の祖父母が命からがら逃げてきたという人も多いはず。
藤原正彦の対談集で、満州から引き揚げ時はものごころがついた年齢だった五木寛之が、その悲惨な体験を語っていましたが…。
ちなみに新田次郎はソ連に抑留され、数年後に日本に帰り、気象庁に勤めた後に妻に続いて作家へと転身します。夫婦揃って文才があったということ。
二人とも実に平明な文章であることが共通しています。
by dairoku126 | 2015-10-17 21:42 | | Comments(0)


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