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追悼、上田昭夫さん

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慶應ラグビー中興の祖ともいえる上田昭夫元監督が昨日、逝去されました。
62歳、まだまだ若いのに…。
上田氏のブログを長い間愛読していたのですが、昨年から入退院を繰り返す様子を見て「まさか?」とは思っていたのですが、訃報を伝える新聞記事を見ると、とてつもない難病だったのですね。

選手としては日本代表のスクラムハーフとして、松尾雄二とコンビを組み、75年のイングランド戦で19-21と日本のラグビー史にのこる接戦を演じています。

初めて監督になったのは1984年、31歳の時。
当時の慶應ラグビーの低迷にOB会の方でも「若いけど上田に任せるか」と、就任を依頼した時に「松永がキャプテンを引き受けてくれるなら…」と条件付きで受諾。
この年は、早慶戦、慶明戦と劇的な逆転劇を見せてくれ、大学選手権で決勝で3連覇を狙う同志社と対戦して「幻のスローフォワード」で優勝はならなかったけど、あわや!というところまで1年間で慶應ラグビーを建て直した。
翌シーズンに大学選手権決勝で明治と同点引き分け、くじ引きで日本選手権に出場すると勤務先のトヨタ自動車と対戦。「社員証は家に置いて来ました」との言葉通り、18-13で快勝!
見事に日本一を達成してくれました。

再度、監督に就任したのは慶應ラグビー100周年の5年前の84年。
そこから積極的に選手をリクルートして育て上げ、見事に100周年の1999年に大学選手権での優勝を果たしました。慶應伝統の「魂のタックル」は引き継ぎながらも、知性的な理論派で大学ラグビーに新しい風を送り込みました。
今では当たり前になっているウェートトレーニングの導入や選手の「戦術的入れ替え」なども上田氏が始めたこと。それまでは、怪我でもしない限り、先発メンバーが最後まで闘うのが当たり前でしたが選手の疲労度や戦略の転換などの目的で選手を入れ替えるのは画期的なことでした。

多くの名選手を育てると共に、「社会に出てから役立つ」人間を育てるという大学として当然のことを成し遂げたのも上田氏ならではのこと。だから各地を回って成績優秀でなおかつラグビーも出来る、という高校生をリクルートして来ました。
ブログにも良く書いていた「ラグビーを止めた後の人生の方が長い」というのが、持論。
大学の名誉のためだけに選手を使い捨てにするのではなく、選手のその後の人生まで視点を置いたリクルートのやり方は大学ラグビーの中でも特筆すべきものです。

慶應だけでなく、日本のラグビー界にとっても大きな損失です。
いまだに100周年の国立競技場で見た日本一の時の試合が目に残っています。
No Sideと共に対戦相手だった関東学院のキャプテンと握手をしながら健闘を称えていた姿が「あるべきラガーマン」の姿なんでしょう。
親友だった早稲田のキャプテンの故・石塚氏から受け継いだ少年院でのラグビー指導は栗原君に引き継がれていくのかな?

合掌!
by dairoku126 | 2015-07-24 12:38 | ラグビー | Comments(0)


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