合掌!木之下晃さん

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クラシック音楽家の肖像を撮り続けて来た木之下晃さんが黄泉の国に逝かれてしまったとか。娘からのメールで知りました。詳しいことはこちらで…。

木之下さんとは、僕が入社2年目に広報室に勤務していた時にカメラマンとして配属されて来たのが初めての出会い。すでにクラシック音楽家の写真を撮り始めていて、いつ仕事が入るか分からない広告写真の仕事より、勤務時間がハッキリしている広報室を希望したようです。
まぁ、広告屋のカメラマンとしては異色の存在でしょうが…。
上の写真の左側の作品集は、木之下さんが1970年に自費出版で出された最初の写真集。
初めてお会いした時に、「買ってよ!」といわれて買いました。
市販されていないので幻の写真集といわれています。

すでにクラシック専門誌・音楽現代の仕事が定期的に入り、それ以外にもクラシック関係のコンサート写真の仕事が入っていたようで会社を辞めて独立するまでの準備期間だったのでしょう。年齢的には一回り上でしたが、なぜか最初からウマが合い、終業後にコンサートの写真を撮りに行く時にはカメラケース持ちのようなカタチで連れてっていただき、コンサートホールの裏口から入って舞台の袖で聴くということも多かった。僕の方が木之下さんよりは英語は話せたので、楽屋でのインタビューまでしどろもどろながらやったこともあります。言葉が出来なくてもコミュニケーション力に長けていて、カメラを構えながら「はい、ニコニコ〜!」というと、誰でも満面の笑顔になってしまうのは驚きでした。「帝王」と畏れられていたカラヤンにも「ニコニコ〜!」をやったら、すかさずカラヤンが笑ったので、周囲が驚いたらしい。

クラシックだけでなく、ジャズの写真も音楽現代のリクエストで撮りに行った時などは、勇んでついていきました。コルトレーン・クァルテットのピアニスト・マッコイ・タイナーにインタビューした感激は未だに忘れません。

翌年に晴れて独立、フリーのカメラマンとなられてからの活躍は素晴らしいものです。
カラヤンに気に入られ、専属カメラマンとして来い!と誘われたり、小澤征爾さんとは親戚付き合いのようなカタチで鄧小平とのツーショット写真を撮ったりと活躍の場を拡げ、世界のクラシック界では「キノシタに写真を撮ってもらえないと一流とは認めない」というような定評まで出来てしまったほど(噂ですけど…)。

僕自身もFM東京の「ザルツブルグ音楽祭特番」用のRCMを制作する時に木之下さんに出演してもらい、H堂の録音スタジオで話をしてもらったのが久しぶりの出会い。その時には「ホロヴィッツのマシュマロのような指」とか「小澤征爾さんとの中国旅行」について話をしてもらったのを想い出しました。
最後にお会いしたのが、銀座の和光で写真展をしていた時かな?
もう10年近くも前ですけど…。
時候の挨拶はお互いに欠かさなかったので、活躍の様子は分かっていたのですが、突然の訃報で驚きました。ただただ、ご冥福を祈ると共に、感謝の言葉を捧げたいと思います。

合掌!
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by dairoku126 | 2015-01-19 16:12 | 友人 | Comments(3)
Commented at 2015-01-23 21:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dairoku126 at 2015-01-24 12:28
木之下貴子さま
こちらこそ、木之下さんにはお世話になりっぱなしで…。
未だに、信じられない思いです。
名古屋時代に一緒だった萩原さんも絶句されてました。
そういえば、H同時代に椿山荘の園遊会にご一緒したのを覚えてられますか?あの頃は、会社も家族的でノンビリしたものでした。

今頃は、天国で「はい、ニコニコ〜」とやっておられるのでしょうね。あらためてお悔やみ申しあげます。
Commented at 2015-01-25 19:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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