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司馬遼太郎「対談集;日本人を考える」

司馬遼太郎「対談集;日本人を考える」_e0171821_13242017.jpgこの対談は雑誌「文藝春秋」に1970年1月から連続で掲載されたもの。すでに40年以上が経過しています。
文庫本での発売は1978年6月とのこと。
対談相手は梅棹忠夫犬養道子梅原猛向坊隆高坂正尭、辻悟、陳舜臣富士正晴桑原武夫貝塚茂樹山口瞳今西錦司という碩学、賢人、文人といった面々。司馬遼太郎はもとより対談相手の殆どの方が物故されています。

1970年というと、大阪万博の年。
僕自身は、大学4年で就職試験を受けていた年ですね。
日米安保条約の延長と引き替えに沖縄返還が話し合われ、大学では全共闘が暴れ回り、公害とか環境問題が表面化しつつありました。1ドル=360円の固定レートの時代です。
この年の11月25日に市ヶ谷の自衛隊駐屯地で三島事件が起きた年でもあります。

僕としては、司馬遼太郎と山口瞳の対談「東京・大阪"我らは異人種"」というのが面白そうなので、読んで見たくて買ったのですが、それ以外の人々(司馬遼太郎と関わりの深い京大系の人が多いのですが…)との対談も叡智溢れるもので、現在の「混沌」とした社会状況というのは斯様に智恵のある論客が居なくなってしまったせいか?などと慨嘆するばかり。
全体の論調としては、戦後の混乱から「奇跡の高度成長」へと移りつつあった時代背景を反映してかオプティミスティックなものが多いのですが…。
内容はこちらの目次を見ていただければお分かり頂けると思いますが、当時の世相を反映したものが多い。
なかでも、日米原子力協力協定のまとめ役となり、原子力委員会委員長代理、日本原子力産業会議会長など日本の原子力導入の基礎を固めた向坊氏との対談「日本の繁栄を脅かすもの」が興味深かった。向坊氏はエネルギー問題が日本の繁栄には欠かせないものとして、原子力発電を積極的に推進しているのですが、ちゃんと原発ゴミの問題というのを取り上げ「その始末をどうするかを解決できないことには、原子力利用がやれない」と言い切っています。
さらに続けて「れには莫大な費用をかけて十分な研究をしなくちゃいけない。それも、いつまでもかかっていてもいいという研究じゃなく、すくなくとも今世紀末までに、いや、いまから15年かそこらの間に、答を出さなきゃいかん研究なんです。なにしろこれを解決しないことには、原子力利用が糞詰まりならぬ灰詰まりになっちゃうんですから」と断言している。
原子力利用の最高責任者の言葉ですよ。
結局、その後の原子力利用というのは利益優先というか、原発を作る方にばかり熱心で、向坊氏が言っていた「十分な研究」という方は疎かにしてきたというのが40年後の現在の惨状をみると理解出来ますね。
「温故知新」というか、40年後に読んでも示唆に富んだ内容が鏤めらた対談集です。
by dairoku126 | 2014-06-29 14:55 | | Comments(0)


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