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「波乗り」が学術論文の対象になるとは…

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カヌークラブで一緒の東海大准教授・M先生から「新島の植松さんって、ご存じですか?」と訊ねられたのは、昨年の夏のこと。
「知ってるけど、何故?」と問い返したら「論文を書くのに、是非お目にかかって話を伺いたい」とのこと。さらに話を聞くと、日本のサーフィンの歴史の中で新島でのサーフィンの始まりについて、あやふやなことが多いので…ということでした。
まさか、サーフィンが学術論文の対象になるとは思っていなかったのですが、共同研究者も居るとのことなので新島に電話をして、仲介の労を執らせてもらいました。
植松君の方でも「えー、学者が来るの?」なんて言ってましたが、引き受けてくれて…。

新島のことに限らず、日本のサーフィンの歴史では「オレが一番最初!」っていう輩が多くて(まぁ、仕事がらみというか立場がらみというのか)かなり歪められているところが多く、雑誌の編集者に注意したこともあるんですが、彼らは広告主でもあったりするので、「それ嘘でしょ!」とは無碍にできない事情もあるらしい。
ちゃんと調べて論文になるというのは、そういう意味からも良いことです。

波乗りの歴史を調べて、果たしてどのような論文になるのかと疑問に思っていたのですが、出来上がった論文を見て納得しました。早い話が、離島の「地域興し」というか「経済振興策」として「サーフィンがどのように関わってきたか」という論文だったのです。

まぁ、かくいう私も論文の中に名前が登場してくるのですが、その時の写真を2枚ほど…。
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新島での移動手段は、植松君の父親の会社のオート三輪。
この荷台にサーフボードを10枚積んで、ついでに人間も積んで、松林の中を通る未舗装の道を走って羽伏浦まで通ってました。お巡りさんに会っても「こんちわ〜、羽伏に行くには、この道で良いんですか?」で済んでたんですから、良き時代です。
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左端の男の手に持っている風呂敷包みは、お弁当。
ボードケースなんて無い時代ですから、荷台に直積み。
あの頃のボードは、ホントに頑丈に出来てました。
新島に渡る東海汽船でも、ゴロッと床に置いて、ロープで縛ってました。

右下の崖を降りると、羽伏浦の砂の斜面。
その下にビーチがあって、かなり沖のサンドバーで波が肩サイズでチューブを巻ながら割れてました。そのサンドバーも、今は無くなってしまいましたけど…。
by dairoku126 | 2012-03-10 17:26 | 波乗り | Comments(0)


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