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「真珠湾の日」

「真珠湾の日」_e0171821_17231199.jpg前から読もうとは思っていたのですが、ツン読の典型のようになっていた「真珠湾の日」を12月7日に読み終わりました。

著者の半藤一利氏は、1965年に「日本のいちばん長い日」で終戦の日のドキュメントを書いてから、開戦の日のことを書こうと思っていたらしいのですが、文藝春秋の編集者としての仕事が忙しくなり(松本清張と司馬遼太郎の担当だったから、そりゃ忙しかったでしょう)36年後の2001年に刊行に漕ぎ着けたとのこと。

その間、開戦時の外交文書の一部公開や、アメリカを開戦に踏み切らせたかったルーズベルトの陰謀説など、さまざまな研究や諸説が発表されてきました。
この本には、そのような諸説の紹介や成果も取り入れながら、書き進められています。
まず、その時代の空気というものが現在の価値観では推し量ることが出来ないものだということを痛感させられました。開戦のニュースを聞いて、戦後に「日本の知性」と持て囃された人達までが「心の中に青空が晴れ渡った!」というコメントを残しています。

また、日米共に正確な分析や見通しなどなしに「気分」で戦争に踏み込んでいくんですよね。日本側は「アメリカ人は民主主義で骨抜きにされ、豊かな生活を楽しんでいる国民が戦争を望む訳がない」と思っており、アメリカ側は「日本人は猿まねの技術しか持っていないから、飛行機や戦艦などはすべて使い物にならぬほどお粗末なもの」。だから、真珠湾などに侵攻できる訳がない!と暗号を解読した後も、きっとフィリピンあたりを攻めるに違いないと思っていたようです。

開戦の通告が遅れたのはワシントンの日本大使館員が、「まだ戦争には間がある」と勝手に思い込んでいて、送られてきた開戦通知の暗号文の解読作業を行いつつも、予定されていた大使館員転勤の送別会に行くために作業途中で放り出し、飲みに出かけてしまったこと。
誰一人として、大使館に戻って、その後に指示が来ているかを確認していません。
翌朝も二日酔いで出勤してきたのは10時過ぎ。「間違いなく1時までに開戦通知を届けよ!」という指示を発見したのは、その後でてんやわんやの大騒ぎとなってもタイプを打てるのは一人だけ。結局、騙し討ちの汚名を着る羽目になってしまったのです。
ここら辺を読みながら、情けなくなりました。
その時の、大使館員たちの行動に関しては、未だに外務省では箝口令というか、触れてはいけないことらしい。仲間内のかばい合いなのか、資料は隠されたままのようです。

シナ事変の泥沼状態で閉塞感に陥っていた日本国民が、英米を敵に立ち上がったというニュースで驚喜したのは、幕末から明治の開花期に沈潜していた攘夷感情が一気に吹き出したからという指摘も、少年として時代の空気を吸っていた著者ならではのものかもしれません。
現在の東アジアの状況が、その当時と似たような空気に覆われているのが、ちょっとキモチ悪い。当時の日本の役を、金さんの国が演ってますが…。
by dairoku126 | 2010-12-09 18:04 | | Comments(0)


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